絶望と希望とが

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交互にやって来ます。
諦めてはいけない、と何度言い聞かせても、人間には中途半端な知識があるために、どうしても先を予見してしまい、早めに努力をやめてしまおうとするんですよね。

ミッチー、昼間は割とよく食べてトイレにも通い、背伸びしたり爪研ぎしたり、と活動するのですが、本来猫の活動時間であるはずの夜になると食欲もなくなり、ずっと寝たまま。ご飯のためにコタツ(脱水がひどくなるのでコタツは切って、電気座布団を入れてあります)の中から手を引っ張って出して来ても、昨日なんかそのままだら〜っと長く伸びたまま寝そべって、お腹はペシャンコ、肋骨ゴリゴリだから思わずもう臨終なのかとドキッとしました。
流動食にして与えても受け付けず、しかたないのでコタツにもどし、私も横に寝そべって手を中に入れ、ミッチーの背中をマッサージしながら寝ました。背骨の尾根は大げさに言えばまるで包丁のように鋭くとがった感じ。ガリガリです。

朝、さてどんな様子だろうとコタツ布団をめくってみると...不思議、意外と元気で、朝日を入れるためカーテン・ガラス戸を開けると歩いてベランダに出ました。夕べから12時間以上も何も食べてないとは思えない元気さ。
さらに驚いたのはベランダからベランダと伝わって別の部屋にまで移動したこと。ベランダの手すりのところに飛び上がったのですね。そんなことして、ふらついて下に落ちたりしたら...もうベランダに出しっぱなしにはできません。それにしてもあの体ですごい気力です。これには先生も驚いています。
さらにさらにビックリしたのは、同室の高齢猫さんのために置いてあるモンプチを舐めに行ったこと。私が口に入れてやらなければもはや自力で食べることもできないとばかり思っていたのに。

片時も目を離さず観察している訳ではないのに、もう動けないんだとか、自力で食べることが出来なくなったんだとか決めつけていた私が間違っていたのです。
少なくともミッチー自身はいつもと変わらない自分でいると思っているんでしょう。危険な状態だなんてこれっぽっちも自覚がない。

人間でもそうですね。重病、危篤と医者から言われてバタバタするのは周りの人間。本人は案外「何それ?」と平常心でいることができるのかも。死とは本人にとっては異常で特別な事態などではなく、日常の延長として淡々と迎えることが出来るものなのかも知れません。だってそれはDNAに組み込まれた、この地球上で最も明白な自然の摂理なのだから。恐れたり忌み嫌う方が間違っているのかも。

あ、またこんな方向に考えている私。
今回の危機も見事乗り切れるという展開も大いにありです。

夜中に食べないというのは単に睡眠時間だからなのかも。それとも私が白河夜船の間に自分で何か食べているのかも知れません。

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このページは、mojuniが2009年12月12日 23:07に書いたブログ記事です。

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