昔、魂を吸い取られて死んでしまうとか言って写真を恐れた人々を今笑うことは出来るが、原発は恐ろしいからと反対した人々を後に笑える人が生き残っているだろうか。
新しい科学技術を恐れるのは未開人、使いこなしてこそ文明人という図式が原子力にも言えるだろうか。
事故がなくても運転中年々歳々たまって行く廃棄物の処理、円満に寿命をまっとうして廃炉にする際の手間だけでも大問題なのに。
原発やむなしという人々は、今回のように万一の事故の時、犠牲になるのは自分ではないから平気と思っているのだろうか。逃げ遅れる人、処理にあたる作業員、そういう人は必ずでるものなのに。
電力需要をまかなうためには原発を廃止するわけにはいかない、と言われると多くの人はそれ以上何も言わなくなってしまう。
でも原発がなくなると一人当たりの消費可能電力はどのくらいになるのか、一度示して欲しい。
その値が出た時点で、それ以内でまかなうために自分が何を使わないようにすればいいのかを考えてみたい。
遊興施設の夜間営業、店の看板などやめる。テレビもオイルショックの時のように早々と放送終了にする。そんなこんなで試算すれば、本当に必要な電力なんて今の半分以下では?
さてこの3、4日ほど連日早朝、時には真夜中に鳥の声で目が覚めています。
ウグイスがもう鳴いてる?いえ、そんな素敵なことではなく...
毎日ムクドリを猫が捕まえて来て、「キーッ」という鳴き声とガツンとガラス窓にぶつかる音で目が覚めるのです。もう~、勘弁して~。鳥インフルも怖いよー。
猫より先に捕まえるために一緒になって追いかけると逃げながら緑色のフンを落として、それがほっぺたに~。生温かい~。慌ててアルコールティッシュで拭き吹き。
多分捕まえて来るのは優しいリカちゃんと見えて、鳥たちは致命傷は負ってなく、半分は何とか飛び去ることができました。
いつかは床の隅に落ちたところを、ふとっちょの最年長黒猫姉さんが押さえてくれて他の子たちの魔手から逃れることができました。姉さんは何故か鳥を咬もうとしなかった。私の気持ちを分かってくれたんでしょうか。
そうかと思えば別の日、元気よく飛んでいるうちに窓を開けてやらなきゃ、と必死で開けて、さあ、どこにいるのかと振り向いたとたん目に入った光景は...いつもはおっとりして動きの鈍いシャム兄が一体いつのまに~という感じでムクドリの首をガブリとくわえてすまして座ってる。慌てて口から奪い取ると(この子も素直に引き渡してくれた)、幸い血は出ておらず目をキョロキョロさせている。でも恐怖で体は縮こまってしまっていました。そっと猫たちが見てない窓から外に出してやると、取敢ず飛んで行って低い木の枝に留まりました。ショックから立ち直ったら飛べそうだけど、それまでに猫に見つからないといいが、と思いつつ二度寝。後でその木の周りを見たけど姿はありませんでした。無事に飛んだと思います。
さて、明日の朝はどうなることか。
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