今朝、何年ぶりかでシェフと「ツルチック」の話をしました。
向田邦子さんの作品に、「ツルチック」という題の随筆があるそうです。「続~」というのと併せて2作。
読書をしない私は(何でですかねー、学生時代から読書しない無教養な人)直接読んでいないのですが、
何でもひょんなことから子供の頃お父さんが持って帰ったツルチックという飲み物の美味しかった事を思い出し、色んな人にその飲み物を知っているかと尋ねても分からなかった...という内容だそうで、
これに関してネットにも結構色々書かれていますが、結局どなたもそれ(ツルチック)が何なのか、ようわからんまま、のようです。
また、私がシェフと知り合って間もないはたち代の頃、朝日新聞の「声」だったか他の投書欄だったかに
「(戦前だか戦中だかに)とっても美味しい国産ワインがあったけど、その名は何だったのか思い出せない」というような投書があり
数日後、別の方が「その名はツルチック」と投書していたのを偶然両方とも読んだのです。
その数ヶ月後あたりにシェフの口から初めてツルチックの話を聞いて、その投書のことを思い出し、シェフに話したら、
是非その記事を読みたいというので、図書館で古い新聞を随分調べたのですが、見つけられず。
実はツルチックとはシェフの親戚が作っていた朝鮮産の野ブドウ?を原料とするワインの名前なのです。
何で今朝二人でその話になったのか、考えても思い出せなかったのですが、今思い出しました。
今回青汁を定期購入したいという家族のリクエストがあり、どこのにしようかと
ネットで原材料や値段を各社比較して、結局一番安いメーカーのものに決めました。
値段だけじゃなく産地も安心できるところだったので。
で、その時比較検討に上った超有名酒造メーカー。
結局そこのは選ばなかったのですが、シェフがまたおきまりの一言、
「あそこはうちの仇やからな」
で、久々にまた「ツルチック」の名前が出たのでした。
詳しい内容は分かりませんが何でもツルチックを巡ってその会社と裁判沙汰になり、結果元祖メーカーだったシェフの親戚が敗訴したとか。
伝え聞く限りでは相手の主張が正当だったからではなく、資金力によって辣腕弁護士を雇えたからだとか。
「勝てば大名暮らし、負けたら乞食」という覚悟だったそうですが、その後ツルチックの運命がどうなったのかはシェフも知らず。
社会学者だったか歴史学者だったシェフの叔父さんがその辺の事情を知っているはずだけど、とっくに故人。
その直系の子孫の方がネットしておられれば、当時の事とか後日談を公表して頂きたいです。
何せツルチックは日本文学史上のミステリーと言っても過言ではないのですから。
シェフがツルチックの名前を知ったのはまだ小学生くらいの頃、お母さんの実家だか親戚だかがワインを作っていたと聞いて
「何ちゅう名前?」と何度聞いても答えが得られなかったところ、ある時ついに
「その名はツルチック」と口を割らせて、「ツルチックぅ~?」と姉弟揃ってゲラゲラ大笑いしたとか。
あんまり変な名前なのでお母さんも笑われると分かっていて言いたくなかったのかも。
やはり裁判の苦い結果が心につかえていたのかも。
当時は否が応でも「丹頂チック」(丹頂、今のマンダムですよ)を連想しちゃうネーミング。
好きこのんでつけた名前と言うより、これもシェフが聞いたところによれば朝鮮語の単語をもじったものだとか。
今調べたら北朝鮮にトゥルチュクという野生のブルーベリーがあるそうで、トゥルチュク酒というものもあるそうです。
ツルチックは葡萄酒だったのか、そのブルーベリー酒だったのか、はたまたその混合酒だったのか分からなくなりました。
子孫の方、是非とも真相を!
-------------------------------------------------------------------
す、すんまへん。
シェフに「直系の子孫が云々」というくだりを話したら
「うちやがな」 とのこと。
つまりツルチックについて直接関わっていた一族の生き残りはシェフただ一人ということです。
そのシェフにしても知っていることはこれで全て、謎は迷宮入りに。
向田さんが長年気になってしかたなかったというツルチック...
まかり間違えば今頃そこの専務だったかも知れない私の方も(ないない、こんなズボラー社員)
向田さんから人生を左右する重大な啓示を受けました。
それは「二度と飛行機には乗らんぞ」ということ。
51歳という働き盛りで台湾で飛行機事故に遭われた時のニュースは今も鮮明に記憶しています。
猫がお好きで、タイで知って一目惚れしたコーラート種の愛猫がいたとか。